子どもたちの学力診断をする際、何も難しい問題を解かしてみる必要はありません。教科書の音読がすらすらできない子は学力が低い。また中一程度、英検5級程度の英単語の音読がスムーズにいかない子は英語が苦手です。四則計算、分数の計算が苦手な子は必ずといっていいほど算数・数学でつまづいています。そして「国語力」「計算力」が弱い子は、ほとんど成績が悪く、あるいはなかなか成績が上がらない。それは理科・社会も含めてです。
中には理科はできる、社会だけが得意という子もいますが、それでも総合得点は低くなるので、成績は悪くなります。しかし、理社ともに得意というわけではなく、どちらか一方だけの場合が多く、得てしてそういう生徒はそこに逃げてしまいがちになり、ますます主要三教科に手をつけないことが多くなる傾向があります。ですから他の四教科を捨ててしまい、結果的に成績は上がりません。
また、理社は暗記科目と言われ、覚えたことがそのまま答えになるので一夜漬けも効きやすいため比較的短時間で高得点を取ることが可能です。高校入試などでも、点数が伸びやすいと言われるゆえんです。
そういう意味で、「みのたけ」では体で言えば「下半身」、建物で言えば基礎、そして樹木で言えば地中にはりめぐる根っこにあたる、「読み・書き・そろばん」つまり「英・数・国」を徹底的に鍛えることに重点を置いています。限られた塾での学習時間に優先順位をつけざるを得ないからです。時間はかかりますが、そのあとの伸びは速い。それは自信をもって断言できます。
「英語力を身につければいいことがある。」
インターネットの急速な普及も相まって、ますます「英語力」の重要性が叫ばれています。しかし、「国語力をつければいいことがある」という類の利益誘導はほとんどありません。しかし私たちが頭の中で何かを考える際に使用するのは日本語(母語)です。「母語はあらゆる知性的・情緒的なイノベーションの培養基である」という人もいます。つまり新しいことを生み出す力、創造力は母語でしか行えないということです。
それでは「国語力」をつけるためにどのようにすればよいのでしようか。よくいわれる「読書」は当然として、塾での限られた時間内での指導の中心を「みのたけ」では次のように考えています。
① 音読
② 漢検
この二本の柱で「国語力」を養成します。
子どもが小学校に入学した頃、毎日子どもの音読に付き合ったことはありませんか。親の前で教科書を声に出して読み、印鑑を押す、あるいはサインをする。その過程でわが子の成長を感じたものです。しかし中にはそれをしてもらえなかったと思われる子どもに会うこともあります(ディスレクシアを除く)。教科書がまともに読めないのにどうして内容が理解できるでしょうか。まして人の話が聞けるでしょうか。昔はそれを文盲と表現したものですが、現代でも隠れ文盲はかなりいます。
成績がなかなか上がらない生徒に共通しているのは第一にその点です。すらすら読めない。「みのたけ」では1コマは理社の教科書の内容をまとめた音読教材を毎回使用します。それを繰り返した生徒は学校でも先生の話の内容がスッと入ってくるし、テスト対策でも習得が早くなります。
漢検は10級から1級まであります。5級で小学6年生、3級で中学3年生、そして2級で大卒・社会人程度といわれています。内容は級にもよりますが、読み・書きはもちろん、筆順・熟語の構成・部首・四字熟語等多岐にわたります。子どもだけではなく大人でもよく、「読みは大丈夫なんだけど、書けないんだよね」と言います。しかし意外と「読み」も侮れません。ともあれ、漢検は総合語彙力判定試験と考えてもいいと思います。自分のレベルに合わせて一つ一つ級を上がっていく過程で、しっかり勉強するくせがつくというメリットもあります。目標に向かってコツコツ努力するという姿勢が養われるということです。成績が悪い生徒は、ただ無目的に、あるいは短期的な目的しか持てないケースが多いです。すぐ結果が出るものにしか興味がありません。中・長期的なものの見方、考え方ができる生徒ほど勉強に取り組む姿勢ができていますから、学業の伸び方にも大きな開きが出てくると考えられます。
もともと英検・漢検・数検などは学校の成績には全く関係ないことですから、それに合格したから内申点が上がるという類のものではありません。全くのオプションです。だからこそ価値があると思うのです。目標を決めてその達成のために努力を重ねる。それこそ人生で最も必要なことではないでしようか。大げさに言えばそういうことになります。